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赤ちゃん巨峰と梅雨の晴れ間 [気象]

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巨峰はどれぐらい大きくなったのかなと思って昨日牧丘に出かけました.雨にけむる里は撮影にはもってこいな日和ですが,残念!防水カメラではありませんでした.でもようやく実がついたばかりで,紫の大粒になるのは1ヶ月以上先のことでしょう.
 翌23日(今日)は朝から快晴で気温はうなぎ上り,おそらく昼には30度以上の真夏日だったのでは?ところが空には筋のような雲ばかり,4時を過ぎる頃には秋のようなうろこ雲でした.地表温度がこの状態では当然激しい上昇気流が生じて,あっという間に積乱雲が発生しそうに思うのですが,この所謂雷雲の発生機構というのはそんなに単純では無いようです.東京の平均落雷発生件数は6月は1.1程度で4月の1.4よりは少ないし,ピークは8月ですからむしろ秋に近い方が多いみたいです.大気の大きな循環と関係が有るように見えるのですが,しかし,雷の発生は前橋が有名で局地的気象変化と絡み合っていてこの辺はどう考えたら良いのでしょうか.気象の勉強を大学ではあまりしなかったのが悔やまれます.

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ちょっと一休み [ペットとの日々]

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講義が昨日で終わりました.最後の講義だと言ってもセンチメンタルな気分は一切無し,うるさい学生は最後まで私語が絶えません.立ち膝で足を椅子に組んで,雑談に夢中な女子生徒には少々まいりました.さすがに試験と言うと静かになるのは愛嬌かな.
 外に出ると真夏のような熱気が押し寄せます.果樹園ではサクランボが風に揺れて,思わず写真を撮ってしまいました.ピカピカの赤い実ですが,中にはしなびたものも有ってサクランボの季節は終わりみたいですね.隣のモモ畑で次が待っています.
 ふとその時,子猫のヤムちゃんを思い出しました.兄弟もろとも捨てられていたのですが,動物里親会という私立NPOが世話をしていて,その内の一匹を僕が一時預かっていました.それが日曜日親切なお兄さんに引き取られていったのです.一月近く寝食を共にしていたので,こちらの方はセンチメンタルな気分になりました.書斎でもひっきりなしに遊んでいましたが,遊びも入れて総てが生きることに一生懸命で圧倒的なかわいさでした.
 そんなわけで昨夜は考えごとをする気が起こらなくて,久しぶりにイ・ビョンホン主演の”甘い生活”をDVDで観ました.原題は「Bittersweet Life」,これを甘いと訳すのは?ですね.風に揺れ動く柳の出だしに引かれました.ひとの激情の爆発の背後にある大きな哀しみのことを今は考えています.

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生命システム誕生の闇;プリオンが示すもの [生物システム]

 プリオンを感染源として発症すると考えられている病気はいずれも不思議な性質が報告されています.これらにはニューギニア原住民に多発したクールー,クロイツフェルト・ヤコブ病(CJD),ヒツジやヤギのスクレイピー,ウシ,ネコ,ダチョウ,ヒトなどの海綿状脳症,ヘラジカとミュールシカの慢性消耗性疾患等が含まれるのですが,いずれも伝染性の中枢神経変性疾患で有りながら外敵の進入を裏付けるような炎症反応が観られないのです.
その代わり特徴的な病理像として,星状膠細胞の増殖とその細胞内でのアミロイドと呼ばれるタンパク質の異常蓄積が観察されます.このアミロイド・タンパク質はアルツハイマー病との関連が注目されていますのでご存知の方が多いのではないでしょうか.しかしアルツハイマー病の場合,外部から実験動物にアミロイド・タンパク質を脳に入れてみても病気を引き起こすことはできません.プリオン病の場合食物を通して明らかに感染が広がって行きます.アメリカのガイジュセク(D.C.Gajdusek)はクールーの研究により1976年ノーベル賞を受賞しましたが,彼等によると感染したハムスターの脳は土中で100年間程度は感染性を維持していると推定しています.とすれば感染ウシを土中に埋めたりすると,そこで育ったウシは草をはむことにより感染する可能性があるということです.
 プリオン感染源とは一体なにものなのでしょうか.1982年,プルシナー(Stanley Prusinar)はこの感染源をプリオンと名づけて,これがもともと脳細胞の膜に有った正常タンパク質の異型タイプであることを示唆しました.このタンパク質は異常な特性が有り,90℃でも活性が消えず,驚くべきことにアミノ酸による対合が可能だというのです.このことから病原タイプが正常タイプと接触して,正常タイプを異常病原タイプに変えてしまう機構が提起されています.これが正しいとすると,タンパク質自身が情報となって,自己増殖してしまう未知の機構が存在することになってしまいます.もちろんこれは仮説の段階に有るのですが,このプリオン病原タンパク質の増殖機構をめぐって今新たな実験が計画されています.分子の高次構造の詳細は分かっていて,一部のαーラセンと呼ばれる規則的構造が,別のタイプの規則的構造であるβーシート構造に変ってしまうのです.こういった立体構造の決定に対して大きな役割を果たすのがシャペロンという一群のタンパク質なので,プリオンタンパク質と正常タンパク質との直接の接触ではなく,シャペロンを介した構造変換を考えている研究者もいます.この機構が明らかにされると,従来のタンパク質の合成イメージは大きな変更をせまられるのでしょうか.僕の個人的な見解ですが,アミノ酸の結合順にこの未知の機構が関与する可能性が無ければ,従来のセントラル・ドグマは動揺することは起こらないように思います.しかし,何が発見されるのか分かりません.分子進化の現在の筋書きの根拠というのも,実はそれほど確たるものでは無いのです.

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物語の可能性:生命システム誕生の闇:DNAかタンパク質か [生物システム]

 現代生命科学の最もめざましい進歩を示すものとして真っ先にあげられるのが分子遺伝学です.今でこそ小学生でも遺伝物質がDNAであることを口にしますが,分子遺伝学の基本となる遺伝を担う物質の本体についてはタンパク質か核酸かの議論が長い間続きました.高校の教科書にも登場するエヴリー(Osward Avery)の肺炎双球菌形質転換物質同定に関する決定的研究を知れば,彼がノーベル賞を授与されなかったことがなんとも不思議に思えます.実験では熱処理S型菌から形質転換物質を抽出し,タンパク質,多糖,RNA,DNAの各々を分解する酵素で処理した後の形質転換活性を調べました.結果はDNAを分解した場合だけが形質転換しないというもので,議論の余地の無い明快な結果としか言いようがありません.しかし,ノーベル賞委員会も含めて当時の(Averyの論文が発表されたのは1944年です)科学者は遺伝物質としてのDNAに抜きがたい不信感を抱いていたようです.酵素処理の不完全性に関する議論や,その後なされた精製形質転換物質の明快な結果に対するタンパク質残存の批判等あまり公正なものとは思えないのですが,結局結論は1950年代のバクテリオファージの実験にもちこまれました.
 なるほどハーシェイとチェイスの実験では実験法としてバクテリアに特異的に感染するファージを用いたり,放射性同位元素を使うなど手の込んだ証明法になってはいるのですが,考え方としてはAveryの延長線にあります.この頃までにはノーベル賞委員会も趣旨変えを完了したらしく彼等の実験はノーベル賞を1969年に獲得しました.遺伝物質としてタンパク質からDNAへの転換が行われたのはこうした地道な証明の成果というよりは,むしろ1953年のワトソンとクリックによるDNA2重らせんモデルの発見の衝撃の方が大きかったのではないでしょうか.ともあれ2重らせん発見以降,DNAからRNAを経てタンパク質に至る遺伝情報の流れを求めて雪崩のように分子遺伝学は進展して行きました.DNA→RNA→タンパク質のセントラル・ドグマ(ウイルスを含めるとRNA→DNAの修正セントラル・ドグマになりますが)を疑う科学者を今や発見することは困難です.
 前置きがいささか長くなりました.セントラル・ドグマはおおかたの生物現象では真実ですが,例外はないのでしょうか.核酸の情報が有って初めてタンパク質が合成されるという筋書きに表現を変えると,タンパク質はそれ自身で複製の情報にはなりえないということです.地球上に誕生した最初の生命を考える時に,このことは決定的に重要な意味をもつことになるのです.それには未だ解明されていなプリオン病がヒントになります.
 

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再発見の時代;創生と不可知の海 [宇宙の始まり]

 

おおいなる存在を感じる瞬間はひとそれぞれでしょう.驚嘆すべき生物の動き,作為を越えた幼児の笑い,瞬間の過ぎ行く表情,季節の移ろいに人智をはるかに越えたものを感じる瞬間があります.その背後のものは有限な空蝉を生きる自分の死後も存在するなにかであるはずです.アインシュタインの場合は世界の合理的な記述が可能であること,法則的なものが簡潔な数式で表せること,そしてなによりも世界が存在し続けると確信出来ることこそが神の存在の何よりの証明だとする彼自身の証言が有ります.
”すぐれた科学的業績の基礎には,世界が合理的,あるいは少なくとも理解可能であるという,宗教的感情にも似た信念がある.この信念がわたしたちの神の概念をなしている.それはスピノザの神の概念でもある.”
 膨張宇宙の概念に対してアインシュタインが直感的に大きな危険性を感じたとしても不思議ではありません.なぜなら膨張の原因をたどれば必ず創生の問題が登場するからです.事実,ビッグ・バン理論を経て今や我々の時代は物質,時空消滅の問題を議論しているのですから.ド・ジッター宛ての手紙でアインシュタインは書きます.”膨張宇宙というこの環境は私を苛立たせます.”膨張宇宙という”このような可能性を認めるのは無意味なようです.”もはやこれは数式の,そしてこの一般相対性原理の数式はアインシュタインその人の手になるものですが,解に関する議論ではなく危機に直面した魂の悲鳴のように聞こえます.アインシュタインは動揺し,立て続けにミスをおかしました.一つはアレクサンダー・フリードマンの膨張宇宙の別の解に対して,計算違いをしたにもかかわらず”疑わしい”とする誤りを,さらに宇宙項を含めたベルギージョルジュ・ルメートルの膨張宇宙の解に対しても”数学的センスがない”と叱りつける誤りを.ルメートルの解はエディントンにより広く紹介され膨張宇宙の考え方は理論面でもしだいに注目されるようになって行きました.
 しかしアインシュタインの感じた不安は現実のものとなりました.科学者アインシュタインは1931年ベルリンからカリフォルニアのハッブルを訪れました.ハッブルの得た写真を観てアインシュタインは膨張宇宙を受け入れる決意をしたと伝えられています.それからいくつかのブランクがありましたが,1965年宇宙背景放射の発見によって”ビッグ・バン理論”は永遠不変の宇宙像を駆逐することになりました.しかも痕跡も残さないほど徹底した形で.今や僕等は科学を追及し,科学の絶対的無力を受け入れるかどうかの選択をせまられています.インフレーションからビッグ・バンに至るその一日前,一時間前,1分前に何があったのか,それにはどのような科学も答えられません.一分前といい
ましたが,時間を云々することが可能かどうかさえも分からないのです.答えについても,答えが無いと言うより,考察の対象することが出来ない絶対的不可知と言ったらよいでしょうか.僕等と,僕等が生きる世界全体の誕生の秘密が,絶対的不可知の広大な闇で封印されていることが明らかになって来たのです.

 

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物語の可能性(2)再発見の時代;創生1 [宇宙の始まり]

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一世紀近くも前の1914年,アメリカの小さな学会で重大な発表がなされました.わずか76名の学会員からなるアメリカ天文学会がその舞台だったのですが,聴衆はスライファー*が提示した一連のデータの重大性に驚愕しました.星雲からの光の色をスペクトルに分けて解析したところ「赤色偏移」が起こっていたというのです.この物理的意味は明らかであり,その星雲が地球からみて時速320万kmにもおよぶ速さで遠ざかっていることを示していました.発表が終わると会場は科学的な発表では異例の興奮につつまれ,総員総立ちで拍手したと伝えられています.しかし,このイリノイ州エヴァンストンからの小さな,しかし偉大なメッセージはその後,出席者総ての想像を越えて世界を覆いつくまでに成長発展していきます.
* http://en.wikipedia.org/wiki/Vesto_Melvin_Slipher

 1914年はオーストリー皇太子夫妻が暗殺され民族主義の熱狂の中で第一次世界大戦が勃発した年です.この小さな惑星を国家の網目で分割し,近代科学の総ての成果を殺人兵器の開発改良にささげることに人々が熱中していた時代に,我々の存在の根本を問う問題にどれだけの人々が革命的意味を見出したのでしょうか.第一次世界大戦の後遺症は第二次世界大戦に引き継がれ,国家・体制を2分して人々の憎しみは限界まで増幅されて行きました.しかしエヴァンストンから発せられたスライファーの木霊は,静かに,着実に世界に広まり消えることは有りませんでした.アインシュタインの一般相対論が発表される2年前のことです.

 スライファーの発表を聴いていた聴衆の中に天文学専攻の一人の学生がいました.後に膨張宇宙の全貌をしめすことになるエドウィン・ハッブルです.スライファー自身は”さまよえる太陽系”といった解釈で,宇宙の大構造の把握までは考えていませんでした.しかしハッブルは観測可能なかぎりの宇宙の距離,後退速度のデータの必要性をはっきりと自覚していました.スライファーが引退すると,当時世界最大のウイルソン山天文台100インチ大望遠鏡を使いヒューメイソンと共にこの大事業に着手しました.目指すは見えるかぎりの全銀河の後退速度と距離を測定することに有りました.ハッブルは距離測定として指標となる星や銀河の見かけの光度と距離の関係を見出し,ついに1929年には46個の銀河の測定を得るまでに到りました.”遠い銀河ほど急速に遠ざかっている”,これが彼の得た結論でした.

 以上は観測のデータに関する流れですが,これとは別に宇宙創生の物語は論理的帰結として着々と揺籃の時期を迎えていました.宇宙全体をアインシュタインの一般相対性理論から包括的に見たらどうなるのか,この方程式が提起されると時を同じくして我々の宇宙観を根本からゆさぶる論争が静かに,深く進行していきました.戦争と革命の騒然たる動きに多くの人々がのめりこんで行く中で,この連立非線形偏微分方程式という難解な数学的表現を理解できるごく少数の科学者だけが,この厳密解の問題に挑戦し驚くべき解答を得ることになります.その最初の一人がオランダの天文学者;ヴィレム・ド・ジッターでした.
 ド・ジッターの解こそ膨張宇宙を示す最初の解答だったのですが,アインシュタインはそれに拒否反応を起こしてしまいます.膨張宇宙の理論的可能性は”高速で後退する銀河”という観測事実に意味づけを初めて与えました.世界中の天文学者は膨張宇宙の観測事実を共にこの理論にも注目するようになりました.ハッブルもその一人でした.ハッブルはやみくもに観測事実を漁ったのではなく,はっきりと事の重要性を理解して困難な観測に挑戦していたことが指摘されています.時間・空間・物質の概念を根本から考え直し,ニュートン力学の重力までも時空の特性に置き換えた物理学の革命児;アインシュタインのこの拒否反応は一体どこからくるんでしょうか.ここに来て初めて宇宙の持つ深い意味,我々が意識しようとしまいと,人間存在の最も深いところで人生の究極的価値と結びついて生きているものが前面に躍り出るのです.

 小さい頃不思議な経験をふと感じたことはないでしょうか.行けども行けども限界の無いように見える星空,その中の点のような大地で生きている自分という存在,いや人間という存在に何ほどの意味が有るのかという.震えるほどの恐怖に引きずられて僕はそのこと自体をなるべく考えないようにしてきたのではないのか.僕等を外側から見守っている父のような巨大な存在,絶対的不滅の存在が有るなら,その巨大な意志に従って生きればいい.しかし,かくかくの宗教における神の存在を信じるには僕等のこざかしい理性は肥大しすぎてしまっている.神の意志はどこからも感じることが出来ず,神の声はどこからも響いてはこないのだ.日常の営為,すったもんだの感情の中に幾十年が過ぎ,このようなことはいつか後方にしりぞいてしまいました.

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