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呪われた一日(その3);ツヴェターエワの詩 [ペットとの日々]

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イダン・レイチェルはイスラエルのミュージシャンである.版権があるので画像を引用
するのは控えて,雑ではあるが彼のイメージを描いてみた.

 よく考えて見ればリラにとってはどこで用をたそうとどうでも良いことのはずだ.汚れて困るのはこちらの勝手だろう.それを”しつけ”と称して一喜一憂しているのはまさにペットだからということになる.野山を駆けて生活していたオオカミが人間にとりこまれたばっかりに,人間の生活習慣への順応を要求される.理不尽なのはどちらか明らかだろう.女性詩人のマリーナ・ツヴェターエワの詩;”さよなら わが友よ”をふと思い出した.
 仲よしだったが,別れがきた
さようなら,わが友 狼よ!
わたしたちの友情は 息が絶えかけている
わたしはあたえるよりも 借りをのこした!

森や野を 仲間をもとめて
思うさま 突っ走るがよい!
おまえの背の毛をなでてやったら
森恋しさに 泣いたっけ! (工藤 精一訳)

に始まる切ない詩だ.その最後が妙に記憶に残っている.

永遠にさようなら 灰色の狼よ!
もうわたしは 夢に見ることもないだろう
そのうちにまた ばかな女があらわれて
狼のこころを信じてくれるだろう

この馬鹿な人間の一人が僕だと思う.甲斐犬の野良が何か悪さをしたわけではない.白い雌犬に興味を持っただけでなぜ石を投げられ追われなくてはいけないのか.そう考えるといたたまれない自己嫌悪にとらわれた.冬の夕暮れは早い.こうして僕はリラをひとり工房に残して家族の待つあたたかい家に帰るのだ.リラは来るのか来ないのかわからない僕を待って朝までひとりとり残される.しんと静まりかえった森の中からは仲間が呼ぶ声が聴こえるかもしれないというのに.
 帰宅はどん底の気分で突然メランコリーの渦の中に投げ込まれたかのようになってしまった.途中の車の中で,例のイダン・レイチェルのMi'Ma'amakimを聴いたせいもある.この曲はすくなくとも50回以上は聴いたのだから,たまたまその時の気分が同調してしまったということだとは思うが.僕は医学的には鬱病ではないが,どうも鬱的気質が強いと自分でも思う.
 こうして呪われた一日がなんとか過ぎていった.問題は何も解決していないが.

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